西洋史、宗教史
世界史
歴史のテストは一夜漬け。一夜にして詰め込み、次の日にはもうおぼろげになっていった年表の記憶…。「教授の授業」取材班は、愛知教育大学の黒川知文先生の研究室を訪問しました。
黒川先生の専門は、西洋史・宗教史です。人生計画が80歳までたっているそうです。無計画な「教授の授業」取材班は反省中です。
歴史ってね、起きてしまったらもう無いものなんです。「歴史的な事実」というのは存在しないんですよ。歴史的な事実は歴史家がつくります。「歴史的事実は、歴史家の数だけある」と言いまして、例えばここにヤカンがありますが、これを過去に起きた歴史的事実とします。横から見たヤカン、上から見たヤカン、斜めから見たヤカン、視点を変えるといろいろな見方がありますね。ヤカン=過去の本質が一番分かる見方・表現ができるのが優れた歴史家です。過去の本質をどれだけ表しても100%の再現はできませんが、歴史学は、本質の捉え方を勉強する学問なんですよ。
歴史は「年表を覚えるもの」と思っていると大きなギャップがあります。実際の歴史学は、時の流れにによる物事の本質を見極めていくものだと思います。考える学問です。時間的な経過を見て、現代を見ます。現代を見ると将来が見えます。歴史は「二度と繰り返さない」とか「繰り返す」とか言いますが、基本的には繰り返しません。しかし、同じようなパターンは起きます。ですから、過去から現在を見ると、将来がある程度予測できます。
西洋史、日本史、東洋史と、扱う対象が違うだけで、やり方は同じです。どこに興味を持つかですね。西洋史を宗教から見ていこうというのが僕の立場です。西洋史は、キリスト教、ユダヤ教の歴史でもありますし、宗教の観点から見ないと分からないことがたくさんあります。西洋文明の基本である聖書も勉強します。
ただ、最初から「西洋史」とか「日本史」とか決めてしまう必要はなく、大学一年生までで幅広く勉強してから決めたらいいと思います。富士山がなぜ高いかというと裾野が広いからですね。
僕が西洋史に進んだきっかけは「屋根の上のバイオリン弾き」という映画でした。この映画を大学時代に見た感動は忘れません。僕は第一志望ではない大学に入って、専門がロシア語だったんですが、「なぜロシア語を勉強するのか」やる気が起きず、最初は大学へ行く気がしませんでした。そういったときに見た映画「屋根の上のバイオリン弾き」は、ロシアのユダヤ人の歴史を描いていました。僕は高校時代からクリスチャンだったので、ユダヤ人には興味がありましたが、この映画で、ユダヤ人がロシアにいたんだということが分かって、それで、ロシアのユダヤ人の研究をしてみたいなと思ったんです。
ライフワークの見つけ方を伝えたいと思っています。4年間で、人生の方向付けや内面的促しがどこにあるのかを正しく感じることができると良いですね。内面的促しというのは、「何をしていたら生きがいを感じるのか?」ということです。生きがいを感じるものが職業になったら、人生、こんなにおもしろいことはないです。
そのために、僕のゼミでは、学生に自分の過去を年表にしてもらい、グループに分かれてそれぞれの生涯を話し合ってもらいます。また、今やりたいことを書いて、優先順位を決めて、話し合って、そのあとでもう一回優先順位を考えるというワークショップも行います。話し合うことで自分のことが客観的に分かるようになります。学生にとっては、最初は少し気恥ずかしいかもしれませんが、1年、2年、3年とあがっていくと信頼関係ができるので、だんだんと詳しく書けるようになります。愛知教育大学の場合は、将来「先生」になりたい人が多いですが、もういっかい、自分の生きがいを確認してもらいます。
愛知教育大学の「初等教育教員養成課程 社会選修」または「中等教育教員養成課程 社会専攻」に進学すると、専門科目の授業を受ける環境があります。
愛知教育大学外では、東京外国語大学アラビア語専攻でヘブライ語の授業を、慶應義塾大学文学部では、西洋史の授業を担当しています。また、朝日カルチャーセンター(横浜教室)にて、西洋史やロシア正教の講座を担当しています。
詳しくは、参考リンク先等をご確認ください。
■このページの情報は、2009年9月の取材を元に作成された情報です。
情報利用については、「教授の授業」免責事項をご確認ください。
古典的な名著を読んでください。古典的名著には本質が描かれています。例えば桑原武夫さんが書いた「文学入門」の最後のところには、読むべき50の文学作品が紹介されていますから、そういうのを参考にするのも良いです。映画も良いですね。小説でも映画でも、それを読む・見ることで自分が高められたような思いになるものに出会えると良いですね。「高められた感じ」というのは学問にも通じます。学問をすることで、自分が高められ、新しい視点が分かったりすること、これが学問の魅力だと思います。
高い志を持って、「今するべきことをする」ことが大事です。とはいえ、自分の方向性がハッキリしなくてもしょうがない時期でもあります。たくさん悩んで自分の方向付けを探ってください。僕も絶えず悩んでいました。大学院に行こうか高校の教師になろうか就職しようかどうしようかって。日によって考え方が変わっちゃったり。それでも今するべきこと、例えば勉強したり卒業論文をしっかり書くとかですね。するべきことをすることによって、だんだん開けていくものです。
僕は、大学3年生のときに、3つのことを自分の内的促しと気づきました。1つ目は「学問を通して真理を見ていきたい」、2つ目は「聖書をきちんと学んで教えたい」、3つ目は「文学作品を通して人間のありのままの姿を求めていきたい」です。この3つすべてが、「今するべきこと」をして広がりました。今ではそれぞれ「学者」「牧師」「小説家」としての時間を過ごすことができ、本当に楽しいです。
学部生時代、僕は劣等生でしたので、大学院へ入れたのは奇跡でした。当時の僕のことを知る先生から「奇跡だ」と言われるほどです。奇跡が起きたのは、高い理想を持ち、現実とのギャップを埋めるためには計画を立て、「今するべきこと」をキチンとしていったからでした。今でも手帳に今年度の目標や、週間計画を立てて実行しています。
歴史家としての意見です。「宗教紛争」という言葉がマスメディア等で使われていることに関してですが、その言葉で表している昨今の状況は実際は「民族紛争」と言うべきです。言葉として「宗教戦争」というのは歴史学にあります。こちらは、宗教改革以降1648年のウェストファリア条約までの期間に起こった出来事です。
イランやパレスチナ等で起こっているのは、「民族紛争」です。マスメディア等で、あたかも「イスラム教とキリスト教の戦い」のような表現をされることがありますが、実際は、民族の領土を巡る戦いです。宗教としては、イスラム教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も、宗教者同士の間での平和共存はじゅうぶんあり得るのです。
世界史を見ても、イベリア半島やトルコ等で、3つの宗教は平和に共存していました。十字軍の時期にさえ平和条約が結ばれたことがありました。しかし、領土を伴う民族主義が介入してきたことによって、そういった闘争が広がっているのです。これは決して宗教ではなく、民族主義からなのです。ですから、「宗教紛争」ではなく、「民族紛争」として欲しいと思います。
ちなみに、歴史書を読むのなら、研究者の書いた本をお勧めします。きちんとした学問的な人が書いた本はバランスがとれているのですが、そうでない人が書いた歴史書は非常に偏っていることがあります。
僕は、勉強っておもしろいと思います。知ることによって、物事の本質が分かってきます。試験の成績が悪くても、それで弱点が明らかになるわけですから、自分が間違ったところをしっかりと勉強すれば良いのです。そうして補強をして、きちんと勉強をすることで自信につながりますし、だんだんと多くのことが分かってくると楽しくなってきますよ。受験勉強は、人生の中で一番広く教養を得ることができるチャンスです。どんどん吸収してください。