彫刻(彫塑)
図工、美術
愛知教育大学の美術棟の手前にある庭は、彫刻作品で彩られ、棟の入り口にある屋根付きの制作スペースには制作中らしい物や道具がたくさん。けれどそういえば、玄関はどこでしょう?「教授の授業」取材班は、玄関を探してウロウロ。玄関がありません。玄関を無くして制作スペースにしてしまったのは、彫刻が専門の宇納先生でした。オシャレな玄関よりも、充実の制作環境を。
石膏って、彫ってみてもつまんないでしょ?僕たちがやってもおもしろくないんです。なんでかなって言うと、彫刻っていうのは、素材のウェイトっていうのがすごく高いんです。石や木は、誰でも、頑張って磨いていると、石は石の良さが出てくるし、木は木目が浮かんで来たり、温かさが出てきたりするのがいいんです。小中学校では、彫刻の面白さを伝える授業がなかなかできていないと思います。1時間の授業時間は短いし、指導者も少ないですし。
僕は愛知教育大学の卒業生なのですが、大学一年生のとき、最初は絵をやっていました。自分では上手なつもりだったけど、なぜか先生から評価されない。「先生は見る目ないじゃないか」と思ったりして。けれども、先生が「良い」という絵と、僕の絵を比べてみると、確かに何か違ったんですよ。どうやら僕は、トレーニングされていないことが分かった。それで、上手な人たちを見てみたら、みんな大学の授業が終わってからも彩画室という場所で、いつも絵を描いてる。上手じゃない僕たちは授業終わると帰っちゃうわけです。おかしいよな。なんであんなに一生懸命やるんだろう。と思って、試しに僕も残ってみました。毎日残っているうちに、彼らと話をするようになった。そうすると、教えてもらえるようになった。表現の仕方とか道具の使い方とか。それで、やってみると、努力したらした分だけ上達することがわかって、こんな面白い世界があるんだと知ってしまいました。
彫刻が専門になったキッカケはと言うと、大学3年生で、専攻を決めますが、彫刻に行く人が少なくて、廊下の方で先生が「誰か来ないか~」と叫んでた。へそ曲がりな僕は、「いいよ」と思って、彫刻の研究室へ行きました。やってみたら、やっぱり大変。でも、つくり続けていたら、面白くなっていった。みんなも「面白いもの作ってるね」なんて声を掛けてくれる。と思ったら、卒業の時期になってしまって、教師になるか、もう少し美術を勉強するか迷いました。そのときに出会った恩師に「宇納くんは、資格が欲しいんですか?彫刻で食べていきたいんですか?」と聞かれて僕は、「いやいやそんなとんでもない。美術の教師になるときに、彫刻のちょの字くらいは分かるようになりたいんです」と答えたらば、「それなら大学院の2年くらいやったってしょうがないんだよ。わっはっは」と言われて、そりゃそうだよなと思って、今度は芸術大学で4年間過ごすことになりました。その後、縁があって最初の母校(愛知教育大学)に呼ばれて、戻ってきて今こうしています。
設備もスタッフも、授業内の制作時間もまったく違います。二校目の芸術大学で体験した環境と比べたら、とにかく「足りない」「少ない」。でも、ないならないなりにあるものでやろうという発想で、環境をつくりながら制作をやってきました。実習をするのに大きい空間が欲しかったから、美術棟の正面玄関だったところは、溝のあるデザイン部分をコンクリートで埋めちゃったり。他にも、学生といっしょに手作りで制作環境をつくってきました。芸術大学の学生は、朝から晩まで制作をします。それに比べ確かに、教育大学の学生は、制作の時間が限られています。 しかし、教育大学に来た学生には、ならではの武器があり、作品づくりがあると思います。
愛知教育大学の良いところは、絵画も彫刻もデザインも美術史も、美術の全部をまんべんなく学べる。教員になるための学校だから。しかも、僕のところに来た学生は、授業外のところでいっぱいやらされちゃうんですよ。愛知万博にも参加しましたし、地域との連携でイルミネーションの企画をしたり。大忙しですよ。卒業するころに、「おもしろいなー彫刻って」と思ってもらえるといいんですけど。
日本の家屋事情もあって、卒業制作でつくっても立体造形を置くスペースがなくて、大学に転がされている間に壊されてしまう。これはかわいそうだなと思いました。せめて卒業制作展で見てもらって、大事に持って帰ってもらいたいですけどね。作品の何点かを僕は残していくことにしました。美術棟の前の庭にも置いてありますね。もっと日の目をあてたい。僕よりもいい作品をつくる学生はいっぱいいます。そんな卒業生の作品を街に置かせてもらって、いろんな人に見てもらえないかと思ったんです。その想いが実現したのが、パティオ知立の「野外彫刻プロムナード展」と呼んでいるんですが、知立市の文化会館のエントランスロード沿いに、彫刻作品を並べて置く取り組みです。知立ライオンズクラブ、知立市、知立市教育委員会、知立市文化協会の協力を得て、毎年作品を入れ替えているんですよ。半ば強引にお願いし続けて10周年(2009年度)です。「わがまま宇納」って呼ばれてますけど、みんなあきらめています。
美術というものを体験しないとスタートしない世界があります。すごく年配のプロの人とも、美術の世界に入ったというだけで話ができる。つくることに対しては同じ土俵にあがれます。あたまで考えるだけでなく、まずやってみようと思って欲しいですね。授業以外でも活動が多いです。地域と関わる活動では、ものをつくると同時にグループで協議をしたり、施設使用の許可書の申請、材料の発注、電気屋さんとの打ち合わせなんかもします。僕の授業は、環境造形的なことをいろいろと提案したりするので、地域連携も含め、自然といろいろなことを考えることになります。そうした活動もとおして、造形のおもしろさを伝えたいと思います。
愛知教育大学の「初等教育教員養成課程美術選修」または「中等教育教員養成課程美術専攻」に進学すると、専門科目の授業を受ける環境があります。
■このページの情報は、2009年9月の取材を元に作成された情報です。
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新聞を読みましょう。経済も含めて、社会がどういうふうに動いているのか、日々認識してください。
大学時代っていうのは、いちばん幸せなのは、自分のこれからの人生、足元を見つけることができる。それを考えないで卒業してしまうのはもったいない。人生で何がやりたいのか、じっくり考えて欲しいと思います。
社会がデジタル化されているなかで、体験や実際に手を動かしていかないといけない分野として「美術」は生き残らないといけない。疑似体験で済ましてしまうと、人間は根本的なところで覚醒ができないんじゃないでしょうか。何をすると「痛いのか、良いのか」ということを、もっともっと考えて体験できる授業の必要性があるんじゃないかなと思います。刃物や凶器となりうる道具は、どういうふうに使うと道具になって、いろんな表現になって、便利なのかを考えていかないと、日本は技術立国としてたちゆかない。国をあげてがんばって欲しいです。
今の忙しい授業編成の中では、現場の先生が技術や美術を教えきれていません。いろんな授業を見る機会がありますが、極端な例では、「こういう書き方で、こうしなければいけない」「見本はこれ」というデザインの授業がありました。これは美術の中でいちばん間違っています。考える時間をつくっていろんなことやらせたり、個々の能力を見つけてそれを高めるのが教師の役割ですよね。そういうのをやりきれていないのは、特に美術の中にあるんじゃないかと思うんです。高度な技術を使用した優秀な作品はできても、どっかで見たことあるようなオリジナリティのぜんぜんないものしかできなくなるような授業ではダメだと思います。
年齢的には、着実に世代交代が迫っています。僕は、あと2年半の中で伝えていかなきゃいけないことがいっぱいある。少しでも関心を持っている人と出会って話をしたいと切実に思っています。