認知心理学、実験心理学、発達教育工学
生物・数学
ピンポンパンポ~ン…。いきなりですが、「教授の授業」取材班からお知らせです。右上には、「高校までの教科で関連するのは:生物・数学」と書いてありますが、実際の池田先生の答えは、「文系でも理系でもなく、文理融合的な分野で、どの分野にも該当しないとも言えるし、どの分野にも該当すると言える」でした。しかし、この「教授の授業」では強制的にどこかの教科に結び付けさせていただくのです。先生ごめんなさい。というわけで、なぜ、強いて書けば「生物」「数学」になったのか、その理由は・・・
注:取材時と2011年9月以降とで所属大学が異なります(2011年9月にお茶の水女子大学から十文字学園女子大学へ異動)。
小学校から高校までの間に、「心理学」という教科や科目はありません。なので、答えられなくて当たり前かもしれませんが、みなさんは、心理学はどのような学問と思いますか?あるいは、「心」とは何か、何を指して「心」と呼んでいるのか、について考えたことはありますか?
なんとなく知っていることや考えることはあっても、特に追求しないまま過ごしてしまう人がほとんどだと思います。心理学コースに入学してくる学生でも、「心理学がどのような学問か」答えられなかったり、あるいは間違ったイメージを持っていたり、誤解していることがあります。「心ってどんなもの?」という質問になら、「気持ちとか、感情とか・・・」という回答がかえってくるのですが、「研究の対象として『心を科学する』ときの『心』とは?」という質問には答えられなくなってしまうようです。
心理学は科学分野のひとつで、「心」と呼んでいる対象がきちんと定義されています。「心が存在するかしないか」などの議論をする哲学などの分野とは大きく異なります。たとえば、「物理学」と「心理学」の文字を見比べてみてください。物理学は「物」の理を、心理学は「心」の理を探る学問となっています。つまり、物理学では「物」に関する現象について、心理学では「心」に関する現象について、現象(結果)が起きる原因や過程(メカニズム)を探る、ということです。
書籍やテレビでお馴染みの『ガリレオ』(東野圭吾著)のなかで、物理学者が『現象には必ず原因がある!』と言って、原因に関する仮説を立てて、本当にその原因がその現象(結果)を生むのかどうか、実験で検証しますよね。心理学も同じです!対象が「物」に関する現象ではなく、「心」に関する現象(反応や行動)ということです。
では、「心理学における『心』とは何か」ですが、心理学では世界を二分して考えます。外界と人間です。光や音、気温など、人間の外にあるものは、全て「外界」になります。人間は何もないところから気持ちや感情は生まれません。外界からなんらかの刺激や情報を受け取って(インプット)、それらが処理されて(プロセス)、反応や行動に表れます(アウトプット)。その情報処理の過程(プロセス)を「心」と呼んでいます。
もし、人間を個人のレベルでみれば、他者からのアウトプット(たとえば、他者の表情や態度、行動)も、その個人にとっては外界の情報ということになります。
「心」には、感情・思考・記憶など、意識できる「心」の過程もあれば、それらの基盤となる情報処理、すなわち、五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)のように、外界からの情報を最初に受け取り、自動的あるいは無意識のうちに処理されている「心」の過程もあります。
たとえば、視覚的な現象で言うと、真っ暗な部屋の中にろうそくの火を1本入れると「明るくなった」と感じますよね、けれど、すでに100本のろうそくの火が入っている部屋に101本目のろうそくを足すとどうでしょう?おそらく「明るくなった」とは感じないでしょう。物理的には同じ「1本」の明るさでも、同じように感じるとは限らないのです。つまり、「外界の事象と人間の知覚は同じではない!」ということです。ここに、外界と人間を分けて(なぜ同じではないのか、人間の情報処理のメカニズムを)考える理由があります。
さらに言えば、(すでに気づいている人もいると思いますが)こうした情報を処理するプロセスが人間のどこにあるのかといえば、それは「脳」です。つまり、「脳」と「心」は深く関わっているということです。上記のろうそくの例でも分かるように、五感は「脳」における最初の情報処理という点で、「心の出発点」とも言えるわけです。
もうひとつ例を紹介しましょう。
左の図を見てください。「ミュラー・リヤーの錯視(さくし)」です。aとbの水平部分の線は、物理的には同じ長さですが、aの方が「長く」見えませんか?これは、たとえ、「同じ長さだと知っている」としても、「違う長さに見える」という、人間に共通する視覚的な現象です。なぜ、このような現象が起きるのか?いくつか説がありますが、実はまだ完全な解明には至っていません。現在もさまざまな錯視現象について、そのメカニズムを解明すべく研究が続けられています。
観察力のある人。あたりまえのように思われる現象に対しても疑問を抱き、その「成り立ち」を解明することに興味のある人。意外なところでは、数学が好きな人にも向いていると思います。他の科学分野と同様、論理的に考える必要がありますし、人間の反応や行動がデータになりますから。数字は世界共通のツールで、人間の心理メカニズムを説明するときにも、数学が役に立つことがあります(私も高校生のころは「数学の微分積分は何に役に立つの?」と思ったものですが…)。実は、数学や工学を専門にしていた人でも、「世の中の物理的な現象よりも、『人間』の現象を科学的に説明してみたい」「心理的な現象には何らかの『意味』があるはずだ」と言って心理学の研究者になる人も少なくありません。また、心理学は「脳科学」とも密接に関連しているので、神経生理学などの分野で研究している人もいます。
「心を科学する魅力」です!
心に限らずとも、ものごとを科学的に解明することの面白さ、楽しさを伝えたいと思っています。
ところで、「大学は何を学ぶところか?」といえば、その分野ごとの専門知識・技術というのはもちろんですが、同時に、分野を問わず共通して、人間に関わるさまざまな現象を解明する「人間探究」の場だと思っています。物理学では人間をとりまく物理的な現象を対象に、心理学では人間そのものを対象に、間接的であれ、直接的であれ、究極「人間とは」という課題に通じていると思います。学生には、大学が、そうした人間に関わる「研究」の場であるということを意識してほしいと思っています。そして、たとえ小さな疑問であっても、科学的に追究することで、意外な発見や解明につながることの楽しさや喜び、そして自らの手でそれを成し遂げたことの「自信」をぜひ味わってほしいと思っています。
十文字学園女子大学人間生活学部へ進学してください。私の専門領域の「認知心理学」は、心理学の中でも「認知科学」や「脳科学」に近い領域です。詳しくは、参考リンク先等をご確認ください。
■このページの情報は、2009年11月の取材を元に作成された情報です。
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活字を読む、音楽を聴く、文章を書く、人と話す、そして、考える、ことをたくさんして欲しいと思います。また色々なことにチャレンジして、「失敗」と「成功」をたくさん経験・体験してほしいと思っています。失敗は成功のための「気づき」と「知識」に、そして、成功はさらなるチャレンジへの「自信」と「勇気」になるはずです。
心理学に「メタ認知」という言葉があります。「メタ」というのはギリシャ語で「より上位の」という意味です。自らの思考を客観的に見るサーチライトのような思考の働きのことで、「自分の思考を自分自身が思考する」ということです。簡単に言えば、「自分が知っていることと、知らないことを、自分自身が知っている」という状態をさします。みなさん、自分のことは自分が一番よく知っていると思うかもしれませんが、果たしてそうでしょうか? 「メタ認知」がうまく働くようになると、自分の得意なこと、苦手なことを見極められるようになります。自分の弱点が分かれば克服する方法も分かってきます、そして得意なことはより専門に近づけることも可能です。ぜひ「メタ認知」を鍛え、自分自身を「プロデュース」していって欲しいと思います。
高校までの科目に(できれば小学校から)「人間の科学」とか「人間の反応・行動」といった科目ができることを願っています。上述したような「錯視」など、人間を対象とした「五感」に関する測定実験は小学生でも十分に可能です、また理解もできます。実際に、これまで、多くの小中学生を対象に「こころの科学」講座を開いてきました。
しかし現在、心理学が科学であることを理解して大学に入ってくる学生はまだまだ少ない状況です。これは、高校までの学校教育のなかに「人間を科学する」といった科目が無く、生徒たちに、科学と言えば自然科学、理科の分野であるという概念が定着してしまっているからだと考えられます。自然科学から人文科学まで、広く「科学リテラシー」を育成していくためにも、理科という教科枠の学習にとどまらず、総合学習あるいは教科間で連携して、「人間科学」に関する学習をぜひ取り入れてほしいと思っています。そして、将来的には、ぜひ「科目」として発展していくことを願っています。
究極の答えとして、「人と人とがより良く生きるため」です。
人間は「人」の「間」と書きますよね。これは、人間が人と人の「間」で「育ち合う」生き物だからではないでしょうか。人が生きていくためには、「人間」「時間」「空間」、これらの「間」をつなぐための「勉強」が必要だと思います。人間が、生物学的「ヒト」に生まれ、社会に生きる「人」になるためにこそ、勉強が必要なのだと思います。
たとえば無人島に、北の国の人、南の国の人、自分の3人だけがいるとすると、お互いが通じ合うためにはどうしたら良いでしょうか。最初は言葉も通じません。そこで勉強をすることになります。どうすれば相手に自分の気持ちを伝えられるか、相手の言っていることを理解できるのか。言語、文化の違い、相手の個性などに対応できるだけの知識や情報を持っていれば、コミュニケーションは円滑になるでしょう。勉強をして、かつ勉強したことを使えることが、さまざまな場面での問題解決力、そして、いろいろな人との理解を深めていくのだと思います。
小学校・中学校・高校に存在しない「心理学」の授業を取り入れてみませんか。私の研究チームでは、「こころの科学」と題して、実験をまじえた授業をシリーズ化し、出前授業を行っています。小・中学生については、先生方ご自身が「こころの科学」授業を実施できるよう、マニュアルも用意しています。高校生については、実験授業の他に、自分の「思考」を思考する「クリティカルシンキング」を鍛えるための出前授業も行っています。
「こころの科学」の授業では、子どもたちが自分自身の「感覚」を測定する実験を通して、「なぜ、そのような反応が起きるのか」を考察していきます。実験のなかで、体験・測定・考察を通して、最終的に、子どもたちの「科学的に思考する力」が触発されることを願っています。
興味をお持ちいただいた方は、「こころの科学:出前授業致します」のお問い合わせ先へご連絡ください。
物を見る仕組みのクイズです。人間は、色、動き、形を一度に処理しているわけではありません。色は色を見る神経細胞が、動きは動きを見る神経細胞が、形は形を見る神経細胞がそれぞれ処理をしています。この3つのうち、どれが一番早く処理されていると思いますか?
-----答え-----
答えは、「色」です。たとえば、赤いリンゴが向こうから転がって来るのを見るとき、(1)赤い、(2)丸い、(3)転がってきた、のはリンゴ。というように、色→形→動きの順番で処理されています。この間わずか0.1秒といわれています。瞬間すぎて同時に認識しているように感じているのです。 私たちは、さぁ色を見よう、次は形を見よう、そして動きを見よう、などと意識せずとも無意識のレベルで情報処理をしています。この無意識の処理も「心」なんです。